2011年1月25日火曜日

百姓

夕べもまた雪が降ったようで、屋根が白くなっています。
昨日は消化の良いものを食べ、酵素ジュースに薬を飲み、酵素風呂で十分あったまりすぐ布団へ。
体調も良くなりました。

順一の実家の整理をしていたら、山尾三省さんの「聖老人」という本が出て来ました。
1981年に出版された初版本です。

その本の中に「聖老人の木陰」という小冊子と葉書より少し大きめのしおりが挟まれていました。
聖老人の副題に「百姓、詩人、信仰者として」とあります。
そしてその大きめのしおりには
1887年熊本県松橋町に生まれた松田喜一さんの「百姓の五段階」という言葉と、ボルティモアの聖パウロ教会で見つけられた1692年に書かれたであろう「DESIDERATA」という文章の断片を三省さんが訳したものが印刷されています。

山尾三省はクリスチャンではないと思いますが、仏教であれキリスト教であれヒンズー教であれ、深い信仰(心の平和)につながる言葉は分け隔てなく愛された人だと思います。

DESIDERATAの文章もすばらしいものですが、今日は松田喜一さんの「百姓の五段階」を心に留めましょう。

「百姓の五段階」
一段、、、金儲け、生活高め目標の百姓
二段、、、百姓の芸術は相手が生き物であり、限りなく深遠である。
三段、、、山は聳え、水は清く、葉澄める農村には月を仰いで生活するだけで、心も溶けるほどの幸福を感じる。
四段、、、大地の声なき声を聴ける百姓になれ。農作物の心が判る者は、天地の御心が判る者。
五段、、、相手が天と地のお力で営む職業である農業こそ、神仏に近づく途である。農村こそ信仰を得る場所である。
この五段を併せ得た者が真の百姓である。生活だけなら「二十姓」「四十姓」に進め、「六十姓」に届け、「八十姓」に昇れ、そして百姓に座せ。

松田喜一さんとはどういう人?どういう生き方をされた人?熊本に住みながら不勉強な私はその存在すら知りませんでした。
(ちなみに私は熊本に来てから、宮本武蔵があまり好きでなくなりましたが。笑)
早速調べてみます。

実家の片付けで、締め切りが近いNPOの印刷物の原稿書きが全く進んでいません。この寒さで薪ストーブ用の薪をたくさん使っているので、来年用の薪も確保しなくては。は〜、それにもうすぐ確定申告だし。
寒いとばかりは言ってられませんね。
気合い! えい、えい、お〜〜〜〜〜

     

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