2011年1月30日日曜日

また雪です。

結局順一は、昨日軽トラックで高森峠越えで宮崎日帰りしました。
ガソリンスタンドの洗車コーナーには長蛇の列が出来ており、市内は灰でどここもここも灰色だったそうです。
そうそう「死都霧島」でなくて「死都日本」でした。(笑) 宮崎がそのまま舞台になっているので今度DVD探してみようっと。

帰りは、高千穂も阿蘇も雪と風で運転が大変たったみたいです。まあでも今日からまた雪に降り込められるので無事帰って来れてよかったです。

キッサナーと私は家でお留守番。私が家の片付けをしている横で、日本語の勉強をしていましたが、お父さんよりお母さんの方が話しやすいのか、「和恵さん、今日は先生よろしくお願いします。」というので、「私は厳しいよ」というと少し困ったような顔をしていました。(笑)

一昨日はキッサナーを連れて街におり、ヨーガの教室の後に温泉に行ったのですが、順一が30分くらいであがってきたのに、キッサナーは一時間くらい入っていました。

それで今日は発音の練習をかねて、昨日温泉で何をしていたのか聞いてみたら、露天風呂でまったりしたり、ジャグジーやジェットバスなどいろいろ試していたそうです。ただサウナは「何ですかあれは?信じられない。あんな熱い部屋でテレビ見るんですか?』と不思議そうでした。お気に入りは露天風呂のようでしたが、途中でタバコを吸う人がいて、がっかりしたそうです。

黙読とひらがなの練習ばかりでなく、きのうは結構話したのでそのせいでしょうか、お昼頃からしゃっくりが度々出るようになり、夜は早く休みました。

あ〜今日も雪です。体がなまらないように程度に運動しなくてはいけませんね。

2011年1月29日土曜日

やっぱり火山はすごい

さっき実家の母と電話で話をしたが、宮崎市内でも火山灰が凄いらしい。去年6月に生まれた甥っ子は新燃岳の爆発のせいで家がガタガタと震えるので怖がって泣き出したそうです。

昨日一昨日は、ビニールハウスの中に居ても薄暗くて、施設園芸をしている農家では、灰を洗い流す作業で忙しいようです。灰で太陽の光が遮られれば、作物の生長にも影響が出るだろうし、宮崎は動物も植物も試練です。それにいつもならこの時期から宮崎は「スポーツランド宮崎」として野球やサッカーなど春キャンプで賑わうのに、新燃岳の噴火の影響でキャンセルが相次いでいるらしいです。

知人がフェイスブックのウオールで、national geographicのサイトに掲載されている新燃岳の様子を紹介してくれましたが、ほんと凄いです。もくもくと立ち上る噴煙から風に流されて大量の火山灰が降る様子や噴煙が志布志の方にむけて流れていく様子、噴煙の中を走る稲妻。

我が家も、ETCを付けたのですが、この雪でなかなか2WDでは外出することができず、今日も出来たら宮崎に行きたかったのですが、この灰で高速が通行止めになっているので、宝の持ち腐れ状態です。軽トラで高速を走るのは堪えます。(涙)

これからって言う時に。でも神話の国宮崎。きっと現代の神話と呼べるようなできごとがおこると信じて。がんばって宮崎。

あっちでも、こっちでも

実家から帰ってきて、順一はNPOの原稿書き、わたしは順一の実家からもらって来た家具を今ある古いものと入れ替えたり、家の整理。
途中順一も具合が悪くなったりして、冬は体を動かすことが少ないので体力不足になってたかもです。緑の野菜もたくさん食べなくちゃ。

そういえば、昨日ニュースで宮崎が九州で一番インフルエンザがはやっているとか。流行の指数が30のところ、たしか65以上はあったと思います。私たちは大したことはありませんでしたが、宮崎では鳥インフルエンザも大流行。人間に感染などということも考えて危機管理して行かないと。鳥の殺処分をしている人は万全の対策で臨んでいるでしょうが、一般の養鶏場の人が一番気をつけないといけないかも。

それにしても何で宮崎はこんなにいろんな試練が立て続けにやってくるのでしょう。鳥インフルエンザのほかに、新燃岳の爆発もあります。
19日に高速を使って宮崎に帰った時は、丁度最初の爆発があった日で、えびののトンネルを抜けると路面が白くなっていて、「凍結?」って思ったのですが、実家について火山灰だと知りました。

おとといは我が家でも時々「空振」と呼ばれる現象を感じ、屋根瓦が「がたっ、がたっ」と音を立てていました。
猿が屋根に乗ってるの〜?とあわてて見に行きました。
降灰が4センチにも達したなんて。順一も私も若い頃鹿児島市内に住んでいたことがあり、桜島の降灰を経験したことがありますが、ほんとうに嫌なものでした。風が吹いたら最悪です。子供の握りこぶし位の石も飛んでくるようになったとか。

そういえば、5〜6年前「死都霧島」という本だったか映画だったか世間をにぎわしたような記憶がありますが。

我が家も阿蘇山のすぐ近くなので人ごとではありませんが、それがわかっていてここに越してきたのですから、愚痴を言ったら神様に「何言いよっとか!』と活を入れられそうです。そうなった時私はあるがままを受け入れられるかな〜。

阿蘇山と言えば、こちらは雪が凄いです。新潟などの豪雪地帯の苦労と比べれば比になりませんが、除雪が大変らしいです。毎年一億円の除雪費用を計上しているのだそうですが、今年は既にそれも使いはたし、6,000万円の費用をほかから流用しても足らず、また1億円補正予算を組むのだそうです。昨日たまたまテレビで阿蘇ミルクロードの映像を見ましたが、場所によっては道の両側に雪の壁が出来ていて、ミニ黒部みたいでした。熊本県一の観光地だけに除雪しない訳にもいかず、大変ですね。

明日からまた15、16日と同程度の寒波がやってくるとか。それに2月の長期予報でも雪が多いそうです。寒さ対策をして、水道管が凍らないようにしないと。

キッサナーは、私たちがそれぞれすることがあるので、いつも居間のテーブルで日本語の勉強をしています。実際に声に出して発音したり動作とともに覚えるのが効果的だと思うのですが、今はもっぱら単語の暗記をしているみたいです。

時々疲れた様子なので、私がトランプをしようと誘います。去年オーストラリアのウーファーの子から教えてもらったゲームなので、基本は英語ですが、それを日本語に変えて日本語の勉強も同時に出来るように工夫して。去年は英語、日本語、ドイツ語でやりました。簡単なゲームですが面白いです。二人じゃなくて5〜6人でするともっと面白いのですが。

それにしても、自分を含めて今の人は物を持ち過ぎですね。その購買力が経済を発展させてきたのでしょうが、片付けをしていて時々深いため息が出ました。一緒に片付けを手伝ってくれた廃品回収業の人にその話をしたら「奥さんたちは何年に一回あるかないかでしょうが、僕たちは毎日ですからね。勿体無いとか思ってたら仕事が進まんですよ。」とのこと。だろうな〜

で、私はと言えば、昔々の家具をせっせと運び、古い台所用品を大事に取ってくるのでした。
お陰で我が家は昭和40年代に戻ったようなレトロな印象になり、チープなプラスチック製品は、20年から30年前に購入したと思われるパイレックスのボールや丈夫で厚いステンレス製品にかわるのでした。
年を取ったらこんな重いボールとか持つの大変だろうなと思いながら、ま〜それまで腕のストレッチだと思いましょう。

そうそう松田喜一さん。三省さんの本で見た言葉ではピンと来ませんでしたが、ウィキペディアで調べてあ〜と思いました。
大学の同窓生からは大笑いされ、担当教官だった植木先生や片山先生からは活を入れられそうです。(笑)

2011年1月25日火曜日

百姓

夕べもまた雪が降ったようで、屋根が白くなっています。
昨日は消化の良いものを食べ、酵素ジュースに薬を飲み、酵素風呂で十分あったまりすぐ布団へ。
体調も良くなりました。

順一の実家の整理をしていたら、山尾三省さんの「聖老人」という本が出て来ました。
1981年に出版された初版本です。

その本の中に「聖老人の木陰」という小冊子と葉書より少し大きめのしおりが挟まれていました。
聖老人の副題に「百姓、詩人、信仰者として」とあります。
そしてその大きめのしおりには
1887年熊本県松橋町に生まれた松田喜一さんの「百姓の五段階」という言葉と、ボルティモアの聖パウロ教会で見つけられた1692年に書かれたであろう「DESIDERATA」という文章の断片を三省さんが訳したものが印刷されています。

山尾三省はクリスチャンではないと思いますが、仏教であれキリスト教であれヒンズー教であれ、深い信仰(心の平和)につながる言葉は分け隔てなく愛された人だと思います。

DESIDERATAの文章もすばらしいものですが、今日は松田喜一さんの「百姓の五段階」を心に留めましょう。

「百姓の五段階」
一段、、、金儲け、生活高め目標の百姓
二段、、、百姓の芸術は相手が生き物であり、限りなく深遠である。
三段、、、山は聳え、水は清く、葉澄める農村には月を仰いで生活するだけで、心も溶けるほどの幸福を感じる。
四段、、、大地の声なき声を聴ける百姓になれ。農作物の心が判る者は、天地の御心が判る者。
五段、、、相手が天と地のお力で営む職業である農業こそ、神仏に近づく途である。農村こそ信仰を得る場所である。
この五段を併せ得た者が真の百姓である。生活だけなら「二十姓」「四十姓」に進め、「六十姓」に届け、「八十姓」に昇れ、そして百姓に座せ。

松田喜一さんとはどういう人?どういう生き方をされた人?熊本に住みながら不勉強な私はその存在すら知りませんでした。
(ちなみに私は熊本に来てから、宮本武蔵があまり好きでなくなりましたが。笑)
早速調べてみます。

実家の片付けで、締め切りが近いNPOの印刷物の原稿書きが全く進んでいません。この寒さで薪ストーブ用の薪をたくさん使っているので、来年用の薪も確保しなくては。は〜、それにもうすぐ確定申告だし。
寒いとばかりは言ってられませんね。
気合い! えい、えい、お〜〜〜〜〜

     

2011年1月24日月曜日

へとへと、熱も少し、でまた雪

19日から23日まで、またまた順一の実家の片付けと、亡くなった義父の50日祭のため帰省。
パルもモリーも当然同行。ごめんね〜、きつかろうね〜。

タイからのウーファージャイレック君は、知人のところに預かってもらい、23日は菊池の軽トラ朝市で自慢のギターを披露してくれたはずです。報告を聞くのが楽しみです。

ところが、連日の片付けと長距離運転移動に順一も私も疲労困憊。前回はそんなに感じなかったのですが、帰宅したら家も深々と底冷えしていて、薪ストーブをたいてもちょっとやそっとでは暖まりません。夕べは夕方7時頃帰宅したのですが、体調も悪く、食欲もなかったので8時過ぎには布団の中へ。ところが布団に入っても一向に暖まらず、深夜2時くらいまで布団の中で震えていました。関節も痛いし、インフルエンザでないといいのですが、、、。微熱があるようで、体中がギシギシ言ってます。は〜〜〜〜〜〜。

パルもモリーも今朝はとてもお疲れのようで、私たちが起きても、自分の小屋から出てくる様子がなく、心配になって9時前に声をかけたらやっと起きてきました。ご苦労さんでした。

何だか最近の風邪は、高熱が出ないものの関節が痛んだり食欲がなかったりという人を良く聞きます。インフルエンザではないまた別のウイルスが流行しているのではないかと思ったりします。

22日には、またまた宮崎で鳥インフルエンザの報告。それも口蹄疫の流行したエリアと同じところ。牛、豚についで今度は鳥も居なくなるのかな〜。宮崎は毎月20日は一斉消毒の日とか言ってるのに。不思議です。

実家の母が、インフルエンザの予防接種はしたのかと聞くので、してないよ〜と答えました。かかったら大変なことになると心配してくれますが、その時はそのとき。運良く生き延びられれば、体中高熱でデトックスで来て、しっかり抗体も出来たということだろうし、生き延びられなければ、それはそれ運命です。小さい子供を持った人には酷な話だろうと思いますが、実は私は子供の頃「はしか」にかかったことがなくて、予防接種を受けたのですが、40代になってはしかにかかり大変な目に遭いました。予防接種してもそんなもんです。

そして、かえって来たら今朝からまた雪。不在中は暖かかったようで夕べは地面も見えていたのですが、また白くなり始めました。
酷暑の夏と,厳寒の冬、来年からはもっと考えないと。

2011年1月18日火曜日

パルセンサー

夕べは一晩中パルとモリーが吠えて眠れませんでした。
モリーの吠え方は、何か野生動物がうろうろしているのに反応しているように思えますが、パルのそれは違います。

く〜〜ん、く〜〜ん モリーが静かになっても止まりません。
あまりのしつこさに根負けして、午前5時家の中に入れました。

パルの体をチェックしながら、グルーミングしてあげて、様子を見ていると、これはどうも恋の悩みのようです。
我が家から一キロ以内に、雌犬が4匹います。
犬の妊娠期間は3ヶ月とか。今妊娠すればちょうどあったかくなった頃に出産出来るから、今が発情シーズンなのかもしれません。

雄犬は雌犬の発情によって体が反応します。は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜パルの悶々とした気持ちが、、、、、。でもどうしようもないので、メスの発情が終わるのを待つしかありませんね。耐えてねパル君。
でも、4匹の雌犬のうち一匹は大型のダルメシアン。たとえ自分が発情していても気に入らない相手は寄せ付けないとか。いくらパル君がせまっても相手してくれないかもね〜(笑)

ちなみにモリーも反応しているのかもしれませんが、性格の違いでしょうか、パルは甘やかして育てたので、抑制が利かないようです。

でも甘やかして?(笑)育てた分、食べ物には敏感なようです。
先日も順一の実家に帰った際、義母の飲み残していた牛乳をあげたのですが、飲みませんでした。我が家に帰ってきて普通にスーパーで買ってきた198円の牛乳は飲むのですが。
義母の飲んでいた牛乳は骨を丈夫にとか言って、カルシウムやビタミンが添加してある調整乳です。
(でもつい先日骨折しましたけど〜 笑) 
それにおでんを作ったとき取り分けた脂身の多いスジも食べませんでした。鶏肉も脂の多い皮の部分はしっかり焼いて脂を落としてからでないと食べません。さんまの塩焼きの内蔵も食べません。

モリーはガンガン食べるのですが、パルが食べないのを見ていると、「もしかして体に悪い?』と思えて、モリーにもあげるのを控えます。たかが犬、嗜好が贅沢と取るか、されど犬、野生の本能で体に悪いものは取らないと感じるか。どうでしょう?

2011年1月17日月曜日

爆笑

今朝も雪は融けていませんが、昨日に比べたら少し暖かいです。それでも夜明け頃の気温は氷点下4、5度位だと思いますが。
ウーファーのキッサナ君は、ご飯の後犬の散歩や薪運びなど活動開始です。
日本語を覚えたいというので、体を動かしながら「japanese language training on the job」

昨日のインパクトが相当強かったのでしょう。今朝はちょっとお疲れ気味でしたが、昨日と打って変わってサンサンと降り注ぐ太陽の光に、
「太陽の光。いいです。僕は今とっても幸せです。」とわざわざ伝えてくれました。

そうそう、昨日夕食の前に台所で料理をしていたら、リビングから「おばさん、あの。」とか何とか話す声が。
気にしていなかったら、引き戸を開けて私に視線を向けて キッサナ君が「おばさん あの、、、。」とのこと。

「え〜〜 おばさんって私のことだったの。ショック〜。」

早速、おばさんという日本語の使い方についてキッサナ君にアドバイス。(爆笑)
でもキッサナ君の持っているタイ語で書かれた日本語習得のための本には、おばさんという日本語は、目上の女性に対する丁寧な言葉であるとの説明があるらしく、なかなか理解が難しいよう。どうしてタイではいい言葉なのに日本ではだめなのと目は?マークでいっぱいです。

察するところ、英語のmamにあたるようなタイ語があって、その日本語訳が「おばさん」になっているのではないかな〜。
でもそれだったら「おばさま」とかほかの訳にしてほしいな〜と編者に突っ込みを入れたくなる私です。

結局順一も巻き込んで、日本の年上の女性といい人間関係を作るためには、おばさんという言葉は使わない方がいいよ。
名前とか名字で呼びかけた方が無難だよ。と現在のおばさん用語事情を絡めながら説明しました。微妙な女心を理解してくれたのか、キッサナ君も笑ってました。多分わかってくれたはずです。(笑)

そういえば、タイでは小さい子供を呼ぶときには本名ではなくニックネームで呼ぶのが習わしだそうです。本名で呼ぶと悪霊が聞きつけてその子をさらって行くという言い伝えがあるそうです。キッサナ君も本名はクリスタ(クリシュナ神のタイ語読みとのこと)ですが、キッサナと呼ばれています。いろいろな風習があるものですね〜。

今日はお昼からは、村に通じる坂道の除雪作業です。キッサナ君雪との戦いはまだまだ続きます。

2011年1月16日日曜日

よりによってこんな日に

昨日からの寒波で、我が家はすごいことに。
夕べも寒かったけれど、今朝も寒くてなかなかお布団から出られない。

でもこんな時こそ早く起きなければ、何がおこっているかわからないので大変。
幸い台所の水は凍っていなかった。
ところが、洗濯機につながっている水道が凍り、水が出ない。洗濯できないのはどうと言うことはないが、水道管が凍っているのが心配。
断熱材の入った壁の内側に配管してあるのに、、、、、。
だから余計融けた時の漏水が、、、、。あ〜〜〜〜〜〜〜〜。

心配しても仕方ないので、後は運を天に任せるだけです。(笑)

今日は新しいウーファーの青年が来る日です。よりによってこんな日に。それも常夏の国タイから〜。かわいそうの∞。
我が家もこんな日に下の街まで降りたことがないので、冒険です。(笑)

10時過ぎから家の前の坂の除雪をし、いつもの坂道は凍結して怖いので、迂回して山道を。
でも結局迂回の山道も普段人が通っていないので、道が悪く、帰りはウーファーさんを軽トラに乗せて、坂道の手前まで来て、後は坂道をえっちらおっちら徒歩で我が家まで。なれない坂道と雪に軽トラを降りてから我が家まで1時間かかりました。

ウーファーのキッサナ君がタイの家を出たときは、気温30度だったそうです。彼にとっては凄すぎる経験でしょうね。
これから一ヶ月、この寒さがんばれるかな〜。よろしく。

2011年1月15日土曜日

へろへろ〜、で、また雪、雪、雪

10日から14日まで、順一と二人順一の実家に帰り、家の片付けを手伝っていました。

11日には、九州交響楽団のニューイヤーコンサート、13日は、菊池林研グルーブ女性部会の研修、14日はヨーガと予定は目白押しにあったのですが、天気予報はず〜〜〜〜〜〜っと雪。参加したくてももし下山できなかったら、家にこもって薪ストーブガンガン焚いて、薪が消費されて行くだけ。

う〜〜〜〜んどうしようかな〜〜〜〜。迷いに迷ったあげく、宮崎に帰ることにしました。

家の片付けといっても、大したことないだろうし、14日のヨーガには間に合うように帰ればいいか。
宮崎にいる間は、私は夜は自分の実家に帰り、姪っ子や甥っ子と遊んで楽しんで、昼間は順一の手伝いをして。なんて気楽に考えていましたが、ところがどっこい。

40年以上住み慣れた家を片付けるというのは、それはそれは大変。
車庫の二階にある8帖ほどの収納スペースは博物館状態。順一や妹さんの子供の頃のおもちゃから、学生時代のもの、この家を建てたときに、前の家から持ってきて取りあえずと置いたもの、子供たちが結婚する迄使っていたもの、などなどなど。

母屋は母屋で、亡くなった義父の洋服や着物、義母の若い頃の衣類、趣味の品などが...........。
思い切って捨てられる性格の人なら捨てやすいようにただ分別して行く作業になるのでしょうが、もったいない症候群の私がやると(笑)


幸い(笑)にも義父の衣類は、長年洋服ダンスに入ったままになっていたので、虫さんがどれもこれも味見していて、ぽつぽつと穴が。
思い切って捨てるきっかけをつくってくれました。でもどれもいい生地で仕立ての良いものばかり。紳士服の仕立ての妙味をかいま見ながら、古布を使ってパッチワークとか裂織りをする人ならどれも捨てられないだろうなあ〜と思いました。

実際最初は取っておいて友達にあげようかと思いましたが、片付けも3日目になると片付けたんだかどうだかわからない山があちこちに出来て、結局古着として資源センターに持って行きました。(笑)

血のつながらない義父の衣類の片付けだけでそうなのですから、義母の身の回りの片付けは、私が口を挟むと機嫌を損ねると思い、義母に任せました。、義母の母(順一のおばあちゃん)から形見としてもらった絹の羽織も虫が食っていて穴があいていたのですが、義母は捨てられず大事に又しまいました。結局いつになったら終わるでしょう〜。

そんな状態ですから、私は実家に帰ることもできず、朝犬たちの散歩をしたら、夕方の散歩の時間まで、昼食を挟んでただひたすらお片づけ。結局まだ片付けは終わっていないのですが、15、16日と大雪になるという予報、16日にはタイからウーファーの子が来る予定になっていたので、一旦やめて帰ってきました。いい迷惑だったのはパルとモリーです。(笑)

帰ってきたら木護は雪は所々残っているものの、結構お天気がよかったようです。あ〜ニューイヤーコンサートに研修行けたかもとも思いましたが、まあこれで良かったのでしょう。

実は去年の夏にも、知人が引っ越すというので、食器類をたくさんいただきました。主人の母も料理がとても上手で、今回も食器や調理器具をたくさんもらいました。今月末には順一の実家を取り壊し、義母は順一の妹と一緒に暮らす予定ですので、2軒分の家財道具が1軒分で済むようになる訳で......。
木護の人が
「渡邊さん、民宿でもはじめなっせ。一日一組ならそこそこ収入にもなり疲れんでよかじゃなかね。木護はよかとこばい。」
と言ってくれるのですが。
同じ一つ屋根の下では、ウーファーやボランティアさんもいるし、
「誰か我が家の近くに小さなコテージみたいな家寄付してくれないかな〜 もちろん薪ストーブつきの。家財道具は一式揃ってるんですけど〜」と超厚かましくつぶやいてみる私です。(大爆笑)

そして、今朝はまた朝から雪です。ただ今積雪2センチ強。このまま明日まで降り続くようです。この冬一番の冷え込みにタイからやってくる青年は無事到着できるでしょうか。軽トラが走れなかったら、下の集落から徒歩であがって来ないといけないよ〜。まあそんな時は下の集落のお友達にSOSですが。という訳なので竹のお稽古も休み自宅待機です。(笑)

2011年1月8日土曜日

朝は北海道、昼は沖縄

今朝は、顔が寒くて目が覚めました。
体感的には今年一番の冷え込み(笑)

朝8時の外気温は氷点下4度でしたから、きっと氷点下10度くらいまで冷え込んだのかもしれません。
北海道はもっと寒いのでしょうが、、、、

今日は村の自治会の年初めの総会。

今年は二年に一度の役員改選の年。誰が区長をするか、副区長は、会計はでいろいろもめる予定で、開催は9時からです。ちなみに改選がない年は10時からです。(笑)

まあだいたい前年の副区長が区長になるというのが、暗黙の了解で区長選出にはそう時間はかからなかったのですが、問題は副区長。
次次期区長の任期の間には、木護地区が所属する水迫地区(木護が小字なら水迫はそのもう一つ上の自治区割りになります)の抱える大問題が終焉を迎えるか、再燃するかの大きな岐路にあたる年です。みんな村の将来を危惧しながらも、自分たちの生活もあり感情が入り交じります。

幸い昨年引っ越してきたパン屋さんが引き受けてくださることになり、お昼前には総会終了。無事新年会にうつれました。
仕出し屋さんの料理では何となく味気なくて、我が家が会計をしている期間は、新年会には大胆にも私の手料理の品を出しています。

去年は、知人の方がハマチを一本送ってくださり、りっぱなお刺身があったのですが、今年は一昨日からおでんを作ったり、黒豆や田作りを作ったり、雪に閉じ込められている間ストーブの上で、マッタリお料理作ってみました。

黒豆、田作り、数の子の酒粕漬け、白和え、柿なます、お雑煮、おでん、豚肉団子の中華あんかけ、長芋フライ、五目おこわ、本当は馬刺もあったのですが、あまりの寒さに目算がはずれて解凍が間に合わず(笑)また我が家の冷凍庫に帰って行きました。

今日は朝からお天気もよく、新年会の始まる頃には、公民館の窓からさんさんとお日様の光が差し込み、カーテンを引かないと暑いくらい
です。朝厚着をして家を出たからなおさらですが、それでもエブロンを入れて4枚です。
まるで沖縄の浜辺にいるみたい。(笑)

石油ストーブもいらないくらいお日様の光であったかくなった公民館。お料理もおいしいと言ってくださり、何だかんだで、夕方4時くらいまで。副区長に選出されたパンやさんは、少しでも村の事情に詳しくなろうと最後までのこっていましたが、奥様から仕事たまってるよ〜と帰れコール。それを合図に散会になりました。(笑)

木護のみなさん。今年もよろしくお願いします。

あ、ちなみに順一が4月1日から2年間木護区の区長です。どうかよろしくお願いします。

asaha

2011年1月5日水曜日

救助隊出動!

今日も雪です。

この雪の中、新しく導入したPCのシステムチェックのため知人がわざわざ福岡から来ていただけることになり、途中何かあったらいけないと順一は道路の確認に。

すると偶然プロパンガス屋さんの車と、ゴミ収集車が雪の中立ち往生。
早速融雪剤を撒き、車の誘導。
大きい車が急な坂で立ち往々するとにっちもさっちもいかなくなるのですが、運良く順一と出くわすことが出来たので随分感謝されたそうです。
新年早々人助けが出来てよかったですね。

お客様は雪が強くなった3時過ぎに無事到着。
朝早く福岡を出て、雪景色などを撮影されながら飯田高原などを回り、我が家へ。ところが途中昼食をとろうにもこの雪でどこも閉店状態。
そんなこととはつゆ知らず、おつきになったら早速PCを見ていただき、6時過ぎまで。
夕食のときに初めて昼食抜きだったことを知り、冷や汗が〜。

こちらは無事いろいろな問題を解決していただき、夕食を挟んで深夜まで歓談。
楽しい時間をいただきました。本当にありがとうございました。

またよろしくお願いいたします。(謝)

2011年1月4日火曜日

また雪で〜す。

天気予報では、今日は朝から雨でしたが、標高の高い木護では雪です。

借りていたDVDや本も返す日だし、8日の村の初寄りの懇親会の食料や我が家の食料の買い出し、それに暮れから新年にかけての雪で塩化カルシウムも底をついているので、補充しておかなければなりません。

雨は午後3時過ぎまでの予報ですが、雪なので単純に天気予報を鵜呑みにする訳にもいかず。

意を決して、4WDの軽トラで10時頃我が家を出発。菊池の市街地は雨で、さほど寒くありません。
すべての用事をすませて、帰路塩化カルシウムを道の所々に置きながら帰るのですが、木護はずっと雪が降り続いていて、急な坂の途中で車を止めて重い塩化カルシウムの袋をおろす作業は一苦労。

集落の入り口まで後もう少しというところが一番坂が急で、案の定タイヤがスリップし始めました。
車のお尻が右に左にふれだすと、気が気でありません。

結局、一旦一番上まであがりきって、再度坂を降りる格好で荷を降ろし、急な坂の一番下まで降りきって再度上ってきました。

帰ってきたら、パルはリードが板の端に引っかかり身動きがとれず、雪の中にうずくまっていました。
私たちの姿を見て、救助要請しきりです。(笑)

買い出しした食料を冷蔵庫や冷凍庫に入れるのですが、寒い外から帰ってくると、冷凍庫の温度の方が暖かく感じて、「あれ?冷凍庫故障した?』なんて思ってしまいます。入れるところがなければ外に置いときましょうか!(笑)

今も雪は降り続いています。朝からの積雪5センチといったところでしょうか。
今週末も寒くなりそうだし、今年は例年に比べ雪が多いですね。

スノーマンやかまくらなど作って遊びたいところですが、新雪はさらさらしていて、容易に固まりません。
水を撒かねばならないので、思いっきり雪遊びが出来ないのが残念です。
でもいのち一番の森の入り口から下に降りるスロープはそり遊びにはいいかも〜。今度ためしてみようかな〜。笑

2011年1月3日月曜日

秋の酵素ジュース

12月1日に仕込んだ農園秋の酵素ジュースを絞りました。

本当なら毎日素手でかき混ぜないといけなかったのですが、途中いろいろあって4、5日そのままの時もありました。

うまく出来たかどうかはわかりませんが、この寒さで、ストーブの側に置いていてもそんなに温度があがることはないので、過発酵とか雑菌の繁殖はなかったのではと思います。

20種類くらい(品種にして35種類くらい)の野菜や穀物木の実など7.5キロほどの材料に砂糖8キロ投入、5.5リットルほどのジュースがとれました。
一日30㎖の摂取だそうですので、一人分の半年分くらいできました。
梅酵素ジュースはここ数年作っていますが、本格的酵素ジュースは初めて。

しばらく飲んで様子を見ようと思います。持病のある実家の母にも飲ませて見ようと思います。

手絞りで4時間くらいかかりました。両手は何だかスベスベしっとり。
搾りかすは、ネットに入れてお風呂に。酵素ジュース風呂からあがった後は、とってもポカポカする気になります。
3、4月になったら今度は春の酵素ジュース作りの季節です。今回の結果次第では、はまり込みそうです。(笑)
そうそう、山の厄介者「葛」の花の酵素ジュースは超薬効があるらしいので、これは外せませんね。

2011年1月2日日曜日

青空

朝6時 外は氷点下3度くらいでしたが、一日中よいお天気で、昨日まで降り続いた雪も、日当りの良いところはほとんど融けてしまいました。

実は昨日からパルのお家に異変が、、、、、。

パルとモリーの家は、我が家がウーフホストとして登録して初めて受け入れた、大分の青年、慎ちゃんの力作です。広さ半畳ほど、寄せ棟作りに鎧壁の本格派です。(笑)
慎ちゃんは、富山の宮大工を育成する専門学校で勉強し、福岡の工務店で働いていましたが、思うところあって一旦そこを辞め、一年ウーフなどをして、今は大分の工務店に勤め、古民家再生の仕事などをしています。

とってもまじめで、親思いの好青年です。今では慎ちゃん一家とは家族ぐるみのおつきあいです。

冬のお天気が続き、屋根の雪が解けるたび、軒下にあるパルのお家の屋根にぽたぽた。
寒さよけにかぶせていたカーテンを濡らし、夜の寒さでカーテンごとカチンコチン。
寒さよけのはずが、氷の壁になってしまい(笑)、パルは自分のうちに入れず、昨日は散歩から帰ってきてもずっと外で過ごしていました。

今日のお天気で、氷も融けたので、そのすきに、パルのお家を移動。カーテンも干して気持ちよく。ぽかぽか天気だったので、パルもモリーも日向でうとうとしてました。
直射日光にあたった温度計は18度を指しています。お日様って本当にすごい!


2011年1月1日土曜日

1 1 2011

新しい年があけました。

今朝6時30分の外気温は−6度
台所は10度、ストーブの周りは18度でした。
北向きの部屋のアルミドアや窓ガラスにはきれいな氷の模様が出来ていました。
昨日掃除したので、その湿気で全面に模様が出来ています。(笑)

一昨日からの雪で、木護は純白の世界です。
2010年いろんなことがありましたが、みんな真っ白な雪でリセットされたみたいです。

良かったことも悪かったことも、過去の記憶にとらわれず、真っ白な気持ちで進みましょう。
そんなメッセージが聞こえてきます。

私たちが起きだした様子に気づいたパルは、リビングの窓の外にやってきて
「寒いです〜。寒いです〜。お家にいれて〜。いいでしょう〜 いいでしょう〜 ね〜お母さん。」と何とも情けない声で「ク〜ン、ク〜ン」とおねだり攻撃。

7時を過ぎる頃にはまた本格的な雪が降り出しました。
一昨日からの雪も融けていないので、積雪40センチくらいになるかな〜。

外は寒いだろうな〜
光のメッセージも何のその「慈母敗子」になっちゃいそうな私です。笑

8時30分すぎから、家族4人(笑)でいのち一番の森まで散歩。
約1時間30分、写真を撮ったり、パルとモリーの興味のおもむくまま雪の中あちこち歩き回ってきました。
この寒いのに、小鳥たちがしきりにやってきて、話しかけます。

雪は降ったりやんだりですが、結局そんなにつもりませんでした。