2011年8月18日木曜日

人間を生きる覚悟

何故かわかりませんが、この4、5ヶ月私の頭の中に「うつ」とか「トラウマ」とか「PTSD」とか言う単語が頻繁に浮かんできます。
あともう一つ「チャクラ」
どうして〜と考えていたら、ある本に出会った。

五木寛之の「人間の覚悟」という一冊。

鬱、かなし、トスカ(ロシア)、サウダーデ(ポルトガル)、恨(ハン 韓国)、
悒(ゆう 中国)、みんな同じような意味らしい。

この本の中に見つけた一節から以下引用

韓国では、「恨(ハン)」という言葉があります。字義としてうらむ、かなしむとありますが、私は、これは韓国の貴重な民族文化の一つだと考えています。
「恨」というと、呪術的な占い師に頼るような感覚を連想する時もありますが、それだけではありません。何千年という歴史の中で考えると、半島というのはやはり苦しい場所なのです。
長い何千年の歴史のなかで、飢餓と凶作、伝染病と疫病、内線と戦争、そして植民地支配と、ありとあらゆる苦難が津波のように繰り返し襲ってくる。そういう中で最もつらい傷を負うのは結局老人と女子どもを含めた庶民たちです。
(中略)
それほど恐ろしい記憶、長い歴史の中で繰り返し、血と涙を流した記憶がトラウマとして焼き付けられ、母から子、子から孫へ精神的な遺伝子として残るのはあたりまえでしょう。
(中略)

お前もいずれは大人になっていくだろうが、大人になるということはいいことばかりじゃないんだよ。大変なことがいっぱいあるんだ。ある時不意にこれという理由もなく、思い当たる原因もないのに、何ともいえない無気力感、憂鬱な気持ちの中にストンと落ち込んで、どうにも抜け出せなくなることもある。
それがしばらくつづくと、ついには血のつながった家族、きょうだい、肉親も赤の他人みたいに感じられて、母親さえも敵のようで、幼なじみの友だちや仕事仲間は全員がライバルのように思われてくる。そして子どものときから将来の夢だったこともつまらなくなり、しまいには自分なんかこの世にいなくてもいい、クズだと思うようになってしまう。
人生ではじめてそういう状態に出逢うと、だれもが驚きあわてて、自分は精神がおかしくなったのではないかと不安に怯える。気のつよい人間は、負けるな頑張れと自分を叱咤激励し、プラス思考で乗りこえようとする。要領のいい人間は、楽しいことをしてやり過ごそうと姑息な工夫をするだろう。でも、結局は何をやってもだめなのだ。
人はすべて「恨」というものを心の中に宿している。何とも言えない気持ちを感じているそのときは、「恨」が目を覚まして、大人になったあんたのところへ訪れてきた瞬間なんだ。「恨」はやがて去っていく。
だけど「恨」が活動している間はどうしようもない。だからそういう時には、無理に肩をそびやかせて強引に「恨」をやっつけようなんて考えず、肩をすくめて、背中を丸めてしゃがみ込み、「あーあ」と体全体からため息を三度、四度、五度六度でも繰り返してつくがいい。
そうやって体全体でため息をついていると、不思議と一瞬、束の間だけれど「恨」の重さがふっと軽くなった気がする時があるだろう。そしたら、とりあえず立ち上がって歩いていけばいいんだよ。
大人になってそういうことがあったら、「そういえば母さんがこんなことを言っていたな。ああ、これが「恨」というものか。「恨」が自分にやってきたのは、大人になった証拠なんだ」そう思いなさい。
以上引用終わり。

「あ〜、人は生まれながらに、こういう因子を持って生まれてくるんだ。」と思ったら、何だかため息つくのも楽になった気がする。


そしてもう二冊。
この前熊本市内に出かけた時に巡り会ったのですが、順一と私と一冊ずつ買いました。

チャクラについてもいろいろ解説があって、直感力を育てるためのエクササイズもたくさん。
でも一番大事なのは継続だそうで、、、。
いつか成果を報告できるでしょうか? 笑

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