2010年12月26日日曜日

光の世界

木護は昨日から雪景色。
今朝はそれほどでもなかったのですが、9時前にパルとモリーの散歩を終えてから、雪も本格的になり、今は積雪6センチくらいです。一面真っ白で、光の世界にいるみたいです。

本当なら軽トラ朝市で野点のお手伝いの予定でしたが、大雪の予報だったので、野点は事前に中止になりました。お陰で静かな時間をいただいています。

モリーは、さっきから雪に体を何度もこすりつけています。
獣のにおいがするのか、シャワーしてほしいのか?(笑)
パルはクーン、クーンと甘えた声であったかい家の中に入れてとせがんでいます。
甘えん坊の長男君です。

そういえば朝散歩していたら、雪の白さに、パルの毛がすごくくすんで見えました。雪とのコントラストで体毛の汚れが目立って見えたようです。
シャンプーを理由に入れてあげようかな(笑)もちろんそのときはモリーも一緒ですが。

12月18日 92歳で義父が逝きました。
グループホームで生活していたのですが、12月に入り体温の低下や、低血圧の症状が見られ、施設から覚悟しておかれた方がとの連絡はいただいていました。

それでも16日までは、椅子に座り食事もとり、皆さんと談笑できる力は残っていたのに、17日になって急に食事がとれなくなり、夕方には昏睡状態に入り、私たちが駆けつけた3時間後の18日午前6時49分、順一が見守る中眠るように息を引き取りました。

10月中旬に施設に入所するにあたって、もしもの時にはどうするか、家族で話し合い、施設の方にもその旨お伝えしてあったので、酸素マスクや点滴などの延命措置はとりませんでしたが、私もこんな最後がいいな〜と思わせてくれるような本当に安らかな最後でした。

葬儀のことも、家族で既に話し合っていたので、義母と私たち、それに主人の妹家族の6人で本当に本当に小さな野辺の送りをしました。亡父も生前たくさんの方にお世話になったので、お知らせするのが本当だったかもしれませんが、葬儀は突然出さないといけないものですから
普段身近にいない私たち夫婦や、義父母の世話や仕事に忙しく、疲れがピークに達している妹でこれまでのような葬儀を出すことは無理があると思いました。
お陰で、私たちや妹家族は、残された義母の世話と葬儀のことだけに心を砕けましたので、父の死を本当に身近に感じながら心置きなく野辺の送りをすることが出来ました。ありがとうございました。

後で葬儀社の方に聞いたのですが、最近では親族を含め葬儀の参列者総数30名というのがほぼ半数を占めるのだそうです。

順一は、父が施設に入所してからも、何度か様子を見に行っていましたが、稲刈りも終わり、11月に予定していたいろいろな行事もこなし、12月に京都で約2週間の瞑想のコースも無事終えることができました。

来月の50日祭(我が家は神道です)が終わると、また忙しくなるのですが、これからの冬の時期は、例年これといって忙しいこともなく、読書を楽しむ時間です。
父は時期を見計らっていてくれたのだなと思えるような最後でした。

2008年の春、私の祖母の最後を看取った時もそうでしたが、近親者が亡くなった後、目に見えない偉大な力で守られているそう感じさせてくれる出来事が起こります。今回もそうです。そんな大胆な大げさなことではありませんが、小さな愛を感じるそんな瞬間です。

葬儀の最後で、神官の方が、「故人の魂は、果てしない空へ、深い海へ、そして美しい森へと旅立っていかれました。そしていつも残された皆さんのことを見守っておられます。」と言われました。自然神を崇拝する神道ならではの言葉、うれしかったです。

お父さん、ありがとうございます。そして「いのち一番の森」をよろしくおねがいします。

そうそう、余談ですが、神道では、葬儀の時の詔に亡くなった人の生前の歴史を読み込んでいきます。いつ、どこで、誰の子供として生まれたか、どんな子供時代を過ごし、どんな職業についたか、誰と結婚し子供は?孫は?といった自分史です。

お父さんの時も、主人とお母さんと妹であーだこーだと頭をひねっていました。

帰ってから主人と二人して、もしものときに困らないように自分史をまとめておかないとねと話したことでした。実はこれはヨーガの教室の年越しの宿題でもあるのです。
すごいシンクロ〜 正月は喪中なので宿題を仕上げてしまいましょう。(笑)? 


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