2010年12月11日土曜日

自分は本当は何をしたいのか?

「私は何故生まれ、何のために生きているのか? 人生の目的は何なのか?」

一昨日から、天外伺朗さんの「宇宙の根っこにつながる瞑想法」を読んでいる。

「人間は、いやその他の生物を含め、この世に存在する全ての命は何故生まれてくるのか?」
考えたって簡単に答えの出てこない難題に頭を使っても疲れるだけだけど、この根源的問題が解決されれば、生きるのもずっと楽になると思います。

私はこれまで、いくつかの本や思想、哲学に触れ、何となくその答えの様なものに近づくことができたのではと感じています。

けれど、私の今の最大の課題は、「私の人生の本当の目的は何なのか?」ということです。

「一体、自分は本当は何がしたいのか?」ことあるごとに自問してみますが、答えが出てきません。
退職年齢まで20年も速く仕事を辞め、周りの皆からは(特に父母からは)「公務員なのに、何が不満があって、馬鹿じゃないか!」と辞めてからも2,3年後まで言われていました。

辞めたことに悔いはありません。あのままだったら、私は大事なことを何も学ばずに死んでいただろうと思いますし、もし何かに気づくことができたとしても、とても遠回りすることになっただろうと思います。

でも、今、この大事な今という瞬間に満足感を得ることができないのです。
自給自足の生活をめざし、超スロースピードながらぼちぼちやっています。森づくりもやっています。
森づくりのためにいろんな研修やセミナーにも参加します。でもそれが一体私の人生にとってどんな意味があるのだろうか?と思ったとき、心が満たされないのです。

天外さんの本を読みながら、「私という魂の本当の思い、より高次の私の魂の願い」に思いをめぐらしました。
天外さんは、エゴの声に邪魔されず、心の奥底に潜む「より高次の自分」の声に従うとき、私たちは才能を開花させることができると書いています。そして心の奥の声に耳を傾けて自分の本当の思いを実現しようとすると、不思議なほどにトントン拍子にうまくいくというのです。
心の奥底からの衝動を大切にすることが、「より高次な自分の願い」に耳を傾けることなのだと書かれています。

森づくりの時がそうでした。「夫婦二人で一体どうしよう? 本当に実現できるのか? でもやると決めたからにはがんばろう!」と思って取り組んだら、本当にいろんなところからいろんな人や物が現れ、無事植林が済みました。神様って本当に居るんだと思わせてくれました。

この場所に移ってくるときもそうでした。まるで私たちのために道を明けてくれたように物事が進みました。

だったら、これらのことは「より高次の私の本当の思い」だったのでしょうか?
では何故今私は満たされていると感じられないのでしょうか?

本の中で、ブラジルの先住民アユトン・クレナックという人の
「文明人は何かを達成しようとして生きている。自分の銅像を立てようとしているだけ。けれど本当にそんな必要があるのだろうか。生きているだけで、充分素晴らしいじゃないか。生きるということ以外に、本当は何もする必要なんてないんだ。」と言う言葉が紹介されています。

私も銅像にあこがれているのか。本当の自分の願いを実現しようとしているのに、エゴがそれを見えなくしているのか。でも私の真の才能って何? そうやって求めることがまたエゴを生むのか?

私は「生きるということ以外に、本当は何もする必要なんてないんだ。」という言葉に秘められた智慧にたどり着けることができるだろうか。

 

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