2010年12月31日金曜日

31 12 2010 

朝の積雪20センチといったところ。犬と散歩に出かけたら、熊本市内にある金峰山も島原の雲仙普賢岳も真っ白でした。空気が澄んでいるので、遠くまで見渡せ気持ちいいです。
木護は囲ノ城とも呼ばれていますが、こんなところに出城があったら、熊本市内も一望できて、狼煙をあげるのにも良かったんじゃないかな〜と思ったりして。ははは

荒れ模様との天気予報でしたが、日中は青空も見えるお天気で、掃除がはかどりました。

順一もリビングの掃除をしてくれましたが、手がスベッって電気のリミッターにあたってしまい、一時停電状態。買ったばかりのパソコンの電源が入ったままだったので、「マザーボード
がやられたかもしれない〜。どうしよう〜。」とおろおろ。2010年最後のため息を何度も何度もついていました。(笑)
こうやってブログの更新が出来ていますので、大丈夫だったと思いますが、影響があったのは確か。

「もっと心を落ち着かせて。せっかちはいけませんよ〜。」と今年最後の神様からのメッセージかな?笑

昨日から迷い犬がうろうろしています。お腹がすいているらしく順一の後を追ってきます。
愛嬌のある顔をしているので、ついつい情が移ってしまいそうで、、、、。
こんな寒い年の瀬に、首輪もしているのに、迷ったのか捨てられたのか、猟犬ではなさそうです。

今朝もやってきたところを見ると、どこかにネグラを見つけたのかもしれません。
雄らしく、パルと一悶着起こしていました。これから大丈夫かな〜。

掃除が終わったら、退屈しているパルとモリーを相手にひと遊び。
雪玉の中におやつのビスケットを入れてなげ、追いかけさせたのですが、モリーは何度やっても退屈せずに遊んでいるのに、パルは2、3回で退屈モード
「お母さん、こんなことさせないで、直接ちょうだい。ポケットの中にたくさん持ってるでしょう!」というようにじっと私を見ています。全く知能犯です。

夕ご飯はおでん。それに酢の物と大根の中華あんかけ。冬は根菜類がおいしいですね〜。
外は星も見えています。2011年の元旦は冷え込みそうですね。

2010年12月30日木曜日

今日もおでん明日もおでんかな?

午前中は雨の予報でしたが、さすが木護。9時くらいから雪になりました。
今は一時やんでいますが、もう少ししたら本格的な雪になるのでしょう。
さっきまでの雪も地面に平行にふっていましたが、天気予報ではこれから「吹雪」。
家にこもって本を読んだり、煮込み料理に挑戦したりで、のんびりまったり過ごして。。。。
と思っていたら、何と軽トラックのドアが昨日から半ドアになっていたらしく、室内灯がついたまま、あわててエンジンをかけてバッテリーを確認しちょっと充電ドライブ。
バッテリーが上がっていたら大変なことでした。

薪ストーブの上では、昨日から友人のブログを参考におでん作りに挑戦。
昨日は昆布鰹だしを採るところまで、今日はそれに牛スジをいれてさらに濃厚なだしを作ります。出しとりのポイントは決して煮立たせないこと。ここが薪ストーブの長所を最大限に活かせます。部屋中いいにおいです。
灰汁をとり、スープが出来たところで、牛スジについていた余分な脂を取りのぞき、再度スープに投入そして大根と人参(おでんに人参は〜と思ったけど、この人参がすっごくおいしい。昨日も夕食の付け合わせにしましたが、ちょっとボイルしただけなのに、人参の甘煮のような味がして、もう最高です。絶対いい深みのある野菜のだしがでるはず。7〜8センチくらいの大きさの人参を丸ごとそのまま6〜7本いれました。)をいれ、さらに灰汁取りです。
これが終わったら、薄口醤油で味をととのえ、練り物をいれてさらに5〜6時間煮込むのが友人風。今晩の晩ご飯はちょっと遅くなりそうです。笑

牛スジについていた脂肪は大事に取り分けて、パルとモリーの餌に使います。昆布と鰹節も犬たちのおなかに。無駄なく使います。

夫婦二人でも、例年今頃は黒豆を煮たり、数の子の塩抜きをしたりと、おせち料理作りに励んでいましたが、喪中なのでそれもなく(といっても、華やいだ正月の気分を味わうことは控えても、豆に暮らし、田作りに励み、子孫繁栄を祈ることもしないのはおかしいと思うので、黒豆や田作り、数の子などは作ってもいいかな〜と思ってますが、1月8日が村の自治会の初寄りなので、その時にでも作ってみんなに食べてもらおうかなと思ってます。)そのかわり大量のおでんが出来そうです。

元旦までは雪が続きそうなので、おかずには困らないでしょう。
それとも忘年会と称して村の誰かと飲み会になったりして〜笑


2010年12月27日月曜日

あ〜〜〜疲れた〜〜〜

昨日からの雪で、村に通じる道は麻痺状態。積雪20センチほどです。
朝早く仕事に出かけようとした人から、
「木の倒れとって、人も通れんばい。雪もどげんかせんば。」

区長さんは今日用事があって、この雪を予想して昨日から下山(笑)して留守。
副区長の我が家に緊急連絡が〜〜〜!

8時前に役場に除雪と倒木処理の依頼の電話をしますが、応答がありません。
8時30分すぎてやっと連絡がつき、作業車(といっても豪雪地帯ではありませんので、本格的な重機はありませんから、土木工事用のショベル付きのユンボを使います。)と倒木処理のため業者さんが来てくれることになりました。

作業車が到着するまで、道の様子を見に行ったら、急な坂のところに村人の車が3台も立ち往生。夕べ帰宅しようとした人たちが危険を感じて乗り捨てたようです。チェーンもスタッドレスタイヤもはいているのに。木護の冬は試練です。
今でこそ、こんな作業が簡単に出来ますが、昔は冬になったら街におりられず、12月の末から2ヶ月ほどは仕事もなく家にずっといたそうです。その頃は雪も50センチくらい積もったとか。だから夏の間も食料の備蓄のため、一生懸命だったことと思います。
豊かになった反面、いざという時の備えが出来ていないので、逆に危機管理は甘いかもしれません。
これは何かのメッセージかも。我が家の危機管理しなくちゃ。

順一は除雪作業に立ち会わねばならず、朝から雪の中立ちっぱなしです。
除雪作業が終わったら、塩化カルシウムを撒く作業があるので、私はそれを待つ間、雪の中で寝転んで、去年の冬オーストラリアから来たウーファーの子に教えてもらった「スノーエンジェル」を描いたり、樹氷の写真を撮ったり、危機管理の何のその、ルンルンで過ごしていましたが、なかなか除雪がはかどりません。

重機が小さかったので、重機そのものが雪に負けて、スリップしだしました。
重機を救出するために、みんなで塩カル撒きです。

結局、除雪の後の塩化カルシウム撒きが終わったのは夕方5時前でした。

雪の中を何度も往復したりして、足が疲れました〜。
夕食の後本を読んでいてもすぐうつらうつらしてしまいます。

ということでお休みなさい。

大晦日、三が日とまた雪に振り込まれそうです。
明日、明後日で食料の買い出しや、塩カルの補充をしておかなければいけません。
明日は雨の予報なのですが、所により雪なんてなりませんように〜。

2010年12月26日日曜日

薪ストーブ

外は一面の銀世界。
でもお家の中は、薪ストーブのお陰でぽかぽかです。
パルとモリーのシャンプーもヘッチャラです〜。

光の世界

木護は昨日から雪景色。
今朝はそれほどでもなかったのですが、9時前にパルとモリーの散歩を終えてから、雪も本格的になり、今は積雪6センチくらいです。一面真っ白で、光の世界にいるみたいです。

本当なら軽トラ朝市で野点のお手伝いの予定でしたが、大雪の予報だったので、野点は事前に中止になりました。お陰で静かな時間をいただいています。

モリーは、さっきから雪に体を何度もこすりつけています。
獣のにおいがするのか、シャワーしてほしいのか?(笑)
パルはクーン、クーンと甘えた声であったかい家の中に入れてとせがんでいます。
甘えん坊の長男君です。

そういえば朝散歩していたら、雪の白さに、パルの毛がすごくくすんで見えました。雪とのコントラストで体毛の汚れが目立って見えたようです。
シャンプーを理由に入れてあげようかな(笑)もちろんそのときはモリーも一緒ですが。

12月18日 92歳で義父が逝きました。
グループホームで生活していたのですが、12月に入り体温の低下や、低血圧の症状が見られ、施設から覚悟しておかれた方がとの連絡はいただいていました。

それでも16日までは、椅子に座り食事もとり、皆さんと談笑できる力は残っていたのに、17日になって急に食事がとれなくなり、夕方には昏睡状態に入り、私たちが駆けつけた3時間後の18日午前6時49分、順一が見守る中眠るように息を引き取りました。

10月中旬に施設に入所するにあたって、もしもの時にはどうするか、家族で話し合い、施設の方にもその旨お伝えしてあったので、酸素マスクや点滴などの延命措置はとりませんでしたが、私もこんな最後がいいな〜と思わせてくれるような本当に安らかな最後でした。

葬儀のことも、家族で既に話し合っていたので、義母と私たち、それに主人の妹家族の6人で本当に本当に小さな野辺の送りをしました。亡父も生前たくさんの方にお世話になったので、お知らせするのが本当だったかもしれませんが、葬儀は突然出さないといけないものですから
普段身近にいない私たち夫婦や、義父母の世話や仕事に忙しく、疲れがピークに達している妹でこれまでのような葬儀を出すことは無理があると思いました。
お陰で、私たちや妹家族は、残された義母の世話と葬儀のことだけに心を砕けましたので、父の死を本当に身近に感じながら心置きなく野辺の送りをすることが出来ました。ありがとうございました。

後で葬儀社の方に聞いたのですが、最近では親族を含め葬儀の参列者総数30名というのがほぼ半数を占めるのだそうです。

順一は、父が施設に入所してからも、何度か様子を見に行っていましたが、稲刈りも終わり、11月に予定していたいろいろな行事もこなし、12月に京都で約2週間の瞑想のコースも無事終えることができました。

来月の50日祭(我が家は神道です)が終わると、また忙しくなるのですが、これからの冬の時期は、例年これといって忙しいこともなく、読書を楽しむ時間です。
父は時期を見計らっていてくれたのだなと思えるような最後でした。

2008年の春、私の祖母の最後を看取った時もそうでしたが、近親者が亡くなった後、目に見えない偉大な力で守られているそう感じさせてくれる出来事が起こります。今回もそうです。そんな大胆な大げさなことではありませんが、小さな愛を感じるそんな瞬間です。

葬儀の最後で、神官の方が、「故人の魂は、果てしない空へ、深い海へ、そして美しい森へと旅立っていかれました。そしていつも残された皆さんのことを見守っておられます。」と言われました。自然神を崇拝する神道ならではの言葉、うれしかったです。

お父さん、ありがとうございます。そして「いのち一番の森」をよろしくおねがいします。

そうそう、余談ですが、神道では、葬儀の時の詔に亡くなった人の生前の歴史を読み込んでいきます。いつ、どこで、誰の子供として生まれたか、どんな子供時代を過ごし、どんな職業についたか、誰と結婚し子供は?孫は?といった自分史です。

お父さんの時も、主人とお母さんと妹であーだこーだと頭をひねっていました。

帰ってから主人と二人して、もしものときに困らないように自分史をまとめておかないとねと話したことでした。実はこれはヨーガの教室の年越しの宿題でもあるのです。
すごいシンクロ〜 正月は喪中なので宿題を仕上げてしまいましょう。(笑)? 


2010年12月11日土曜日

御願ほどきと座祭りそしてパルとモリー 

今日は、御願ほどきと座祭りの日
担当は村の「年行司」
山の神様に今年のご加護を感謝し、座(農業用水路を基本にした村の組織、年行司、自治公民館単位の組織とはまた別のものだが、木護では構成メンバーは同じ。まあ自治公民館組織より歴史はふるいと思う)の労をねぎらう日。

夕方仕事を片付け、山の神様におまいりしてから参加した。
山の神様にお供えしたごはんと煮しめそれにお神酒のお下がりをいただき、あとは宴会。でも今回はちょっとまじめにお話し合いもあり。

今年村に転入してきた人で、田んぼを作っていない人がいるのだが、その人を座に入れるかどうかの話し合い。水路を使っていないのだから入る必要はないという人と、同じ村に住んでいるのだからお互い助け合っていけないかという人と。
既に田んぼも作っていないのに同じ村に住んでいるのだからと2世帯が参加してくれているし、他の集落でもそうやって助けあっているのが現状だからと、すんなり新メンバー参加決定。

2世帯一組になって組んでいた年行司も組み合わせ変更になり、我が家は前の順番では来年だったけど、3年後に変わりました。

それからわいわいがやがやにぎやかに宴会は続き、私は10時頃帰って来ました。宴会で聞いた話では何でも、今年、以前から村に住んでいる人と、村を出て菊池の町や他の地域に出て行った人との親睦会があったとかで、その名も「木護会」。思いのほかたくさんの人が参加されたようで、来年以降も続けようと盛り上がったらしいです。活気が出てきていいお話ですね。

さてさて、パルとモリーですが、今朝も一悶着。結局流血戦になりました。と言ってもティースプーン一杯くらいですが、見てるこちらはおどおど。

やっぱり雄同士なので、順位争いは避けられません。モリーの力がついてきた様子に、パルが危機感を募らせたのでしょう。でも私が見ても強いのはモリー、結局パルは鼻の頭から一センチくらいのところと唇をかまれ血を出してしまいました。

座祭りでも村の人から、「決着がつくまでやらせんといつまでも続くばい。心配せんでも殺すまではせんけん。人間じゃったら殺すけどな。(この文句ちょっと怖~ 汗)」と言われ、「血を見るのがいやじゃったら、動物は飼わんこったい。」とも言われました。
わ~~~~ん。涙

今回は、私がそれ以上見ていられなくて、二匹を引き離したのですが、決着ついたのでしょうか?
その戦いの後、パルはモリーに近づこうとしませんでした。一方モリーは自分が勝ったにもかかわらず、何か不安そうです。モリーは体力は強い割りに気が弱いので、状況が飲み込めていないようでした。

パルがこの事件で自分の位置を確認し、もうモリーにはむかうことが無いよう。またモリーが本当の自分の実力に気づいたとき、パルをいじめることが無いよう祈ります。

ちなみにこの文章を書いている、12日朝の散歩では、以前のように2匹一緒に散歩に行けました。
でもモリーはいつパルに飛び掛られるのではないかとびくびくしてるし、パルはモリーに近づかないよう遅れるし、途中いい感じになって二匹寄り添うように歩いていてもいつ何が起こるかわからないので、リードを持っている私も気が抜けません。「本能」をうまくリードしていけるよう犬も人間も訓練が必要です。

自分は本当は何をしたいのか?

「私は何故生まれ、何のために生きているのか? 人生の目的は何なのか?」

一昨日から、天外伺朗さんの「宇宙の根っこにつながる瞑想法」を読んでいる。

「人間は、いやその他の生物を含め、この世に存在する全ての命は何故生まれてくるのか?」
考えたって簡単に答えの出てこない難題に頭を使っても疲れるだけだけど、この根源的問題が解決されれば、生きるのもずっと楽になると思います。

私はこれまで、いくつかの本や思想、哲学に触れ、何となくその答えの様なものに近づくことができたのではと感じています。

けれど、私の今の最大の課題は、「私の人生の本当の目的は何なのか?」ということです。

「一体、自分は本当は何がしたいのか?」ことあるごとに自問してみますが、答えが出てきません。
退職年齢まで20年も速く仕事を辞め、周りの皆からは(特に父母からは)「公務員なのに、何が不満があって、馬鹿じゃないか!」と辞めてからも2,3年後まで言われていました。

辞めたことに悔いはありません。あのままだったら、私は大事なことを何も学ばずに死んでいただろうと思いますし、もし何かに気づくことができたとしても、とても遠回りすることになっただろうと思います。

でも、今、この大事な今という瞬間に満足感を得ることができないのです。
自給自足の生活をめざし、超スロースピードながらぼちぼちやっています。森づくりもやっています。
森づくりのためにいろんな研修やセミナーにも参加します。でもそれが一体私の人生にとってどんな意味があるのだろうか?と思ったとき、心が満たされないのです。

天外さんの本を読みながら、「私という魂の本当の思い、より高次の私の魂の願い」に思いをめぐらしました。
天外さんは、エゴの声に邪魔されず、心の奥底に潜む「より高次の自分」の声に従うとき、私たちは才能を開花させることができると書いています。そして心の奥の声に耳を傾けて自分の本当の思いを実現しようとすると、不思議なほどにトントン拍子にうまくいくというのです。
心の奥底からの衝動を大切にすることが、「より高次な自分の願い」に耳を傾けることなのだと書かれています。

森づくりの時がそうでした。「夫婦二人で一体どうしよう? 本当に実現できるのか? でもやると決めたからにはがんばろう!」と思って取り組んだら、本当にいろんなところからいろんな人や物が現れ、無事植林が済みました。神様って本当に居るんだと思わせてくれました。

この場所に移ってくるときもそうでした。まるで私たちのために道を明けてくれたように物事が進みました。

だったら、これらのことは「より高次の私の本当の思い」だったのでしょうか?
では何故今私は満たされていると感じられないのでしょうか?

本の中で、ブラジルの先住民アユトン・クレナックという人の
「文明人は何かを達成しようとして生きている。自分の銅像を立てようとしているだけ。けれど本当にそんな必要があるのだろうか。生きているだけで、充分素晴らしいじゃないか。生きるということ以外に、本当は何もする必要なんてないんだ。」と言う言葉が紹介されています。

私も銅像にあこがれているのか。本当の自分の願いを実現しようとしているのに、エゴがそれを見えなくしているのか。でも私の真の才能って何? そうやって求めることがまたエゴを生むのか?

私は「生きるということ以外に、本当は何もする必要なんてないんだ。」という言葉に秘められた智慧にたどり着けることができるだろうか。